■戯志才(ぎしさい)
略歴とか
→ウィキペディア戯 志才(ぎ しさい、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。 豫州・潁川郡(現在の河南省許昌周辺)出身。 『三国志』魏書・「郭嘉伝」と「荀彧伝」に僅かながら記述がある。
正史の戯志才の記述のある所
▼戯志才索引 ②241,259 ③24 ▼荀彧伝(②241) これより先、荀彧は策謀の士として、戯志才を推薦していた。 戯志才が死去すると、今度は郭嘉を推薦した。 太祖は荀彧には人を見る目があると考えた。 先是,彧言策謀士,進戲志才。志才卒,又進郭嘉。 ▼荀彧伝(荀彧別伝)(②259) 彼の人物評価の尺度は単一ではなく、戯志才や郭嘉は世俗に背を向けた生き方をし、 杜畿は気位が高く、飾り気のない人物だったが、 みな智謀すぐれた者として推挙し、最後はそれぞれ名声をあげたのだった。 取士不以一揆,戲志才、郭嘉等有負俗之譏,杜畿簡傲少文,皆以智策舉之,終各顯名。 ▼郭嘉伝(③24) 先是時,潁川戲志才,籌畫士也,太祖甚器之。早卒。 太祖與荀彧書曰:「自志才亡后,莫可與計事者。汝、潁固多奇士,誰可以繼之?」 彧薦嘉。 召見,論天下事。 太祖曰:「使孤成大業者,必此人也。」嘉出,亦喜曰:「真吾主也。」表為司空軍祭酒。 これより前、潁川の戯志才は策略にすぐれた人物であり、 太祖によってその才能を大いに重んじられていたが、早くなくなった。 太祖は荀彧に手紙をやって述べた、 「戯志才がなくなってから後は、計略を相談できる相手がいない。 汝・潁は実際すぐれた人物が多い所だが、誰が彼のあとをついでくれようぞ。」 荀彧は郭嘉を推薦した。
ブログの方
→http://medamayaki1.blog6.fc2.com/blog-entry-368.html →http://medamayaki1.blog6.fc2.com/blog-entry-369.html年表
(最終更新日:2012/03/15)