三国志的なものおき(medamayaki1)

明帝はそのようにすることができず、私の情愛にとらわれて幼な子をいつくしみ育て、〔その子に〕天子の位を与えたうえに、一人の人物に委託の責任をおわせず、あくまで一族の者を参与させた結果、曹爽が誅滅され斉王が帝位を追われることとなったのである▼評・三少帝紀
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■184年

暦関連

  • 光和六年/中平元年
  • 後漢/霊帝
  • 前年(183)→光和六年
 

 →資治通鑑58

主な出来事

  • 黄巾の乱発生
  • 黄巾賊の活躍と討伐
  • 張角の死と黄巾の乱の終わり

出来事(資治通鑑)

1月。
挙兵の計画が露見して、張角の部下の馬元義が洛陽で車裂になる。
関係者千餘人が誅殺される。
張角、露見したので蜂起。黄巾賊と呼ばれる。

2月。
張角が天公将軍で、……とか。

3月。
何進が大将軍になる。
党錮の禁がとかれる。
盧植が張角討伐に、左中郎将皇甫嵩、右中郎将朱儁が潁川の黄巾賊討伐に。
中常侍関連省略。

南陽の黄巾賊、張曼成が太守を殺した。

4月。
司空張済が罷免され、大司農の張温が司空になった。
皇甫嵩、朱儁は4万の兵で、潁川の黄巾賊を討伐中。
朱儁は波才と戦って敗れ、皇甫嵩は長社へ。
汝南の黄巾賊が太守趙謙を破る。広陽の黄巾賊が幽州刺史の郭勳とか太守劉衛を殺害。
波才、長社で皇甫嵩を包囲。皇甫嵩、火計で波才を退ける。騎都尉曹操が来る。

5月。
皇甫嵩、朱儁、曹操が黄巾賊を大破。首数万。

省略。

張曼成、宛に百余日駐屯。

6月。

南陽太守が張曼成を斬る。

交阯のこと、省略。

皇甫嵩、朱儁、汝南、陳国の黄巾賊討伐。
波才を陽タク(潁川)に追撃したり討ち破ったりで黄巾賊は降参して、三郡が平定された。

北中郎将盧植、張角と連戦して破り、一万余斬った。
盧植は賄賂を贈らなかったために罪に問われ、東中郎将の董卓に交替した。

7月。
巴郡の五斗米師の張脩が反乱。米賊。

8月。
董卓、張角攻略失敗、皇甫嵩が張角討伐に。

9月。
安平王のこと。省略。

10月。
皇甫嵩、張角の弟張梁と広宗で戦ったり、張梁を斬ったり。
「斬梁,獲首三萬級,赴河死者五萬許人」
張角は已に病死してたので首を都におくった。

11月。
皇甫嵩、張宝を斬ったり。

涼州で、金城の人辺章、韓遂とかが反乱。金城太守を殺したり。

武威のこととか、省略。

張曼成の残党が趙弘をいただいて復活して十数万で宛城に籠もった。
朱儁と荊州刺史が包囲して落とせなかった。
いろいろあって、朱儁は趙弘を斬った。
韓忠がまた宛を拠点に朱儁に対抗、朱儁は大破し、南陽太守が韓忠を殺した。
孫夏とかも破って、黄巾賊を平定した。

12月。
改元。
豫州刺史の太原の王允が黄巾を破ったり、張譲とあれこれあって、死罪は免れたり。

個々の出来事(三国志)

(最終更新日:2012/03/10)

 

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